今、神道が面白い。神道から何かを学びたい。そういう人々の熱い思いが、国内ばかりでなく海外からも、全国の神社や神道系の教育・研究機関などに寄せられています。いわば、神道のもつ不思議な力が、改めて人々の心を魅了しはじめているのです。
京都國學院には、「千年の都」京都という地の利を活かした独自の課程があり、特長があります。たとえば、京都・奈良をはじめ近畿地方に古くから伝わるお祭りや行事への参加・奉仕を通じて、知識の上だけではなく、実践的に「生きた神道」を体験することができる。そういう、京都國學院生だからこそ味わうことのできる時と場を、本校は豊富に用意しています。そこには、我が国が営々として築き上げてきた精神文化、過去と未来をつなぎ、人と人とを結びつける精妙な心の世界が広がっています。そこにはまた、通りすがりの観光客や見物人が外から眺めるのとは、一味もふた味も違う学びがあり、感動があるはずです。
山々の森が膨大な保水能力をもち、清らかな水と土壌をつくり、川から海に注がれ豊かな漁場をもたらしてきたように、我が国の貴い精神文化を今日まで守り伝えてきたのは、まさに全国津々浦々に鎮まる神社であり、鎮守の杜であるといってもよいでしょう。
けれども、それら世界中の人々から賞賛され、憧憬の的にもなっている日本の貴い有形・無形の文化財といわれるものの存続が、今や危機的な状況下にあるということも、また現実の問題として我々は受け止めなければなりません。逆に言えば、神社神道がもっと元気を取り戻さなければ、日本文化の衰亡に歯止めをかけることはできず、ひいては世界人類の未来にも暗雲が立ち込めることとなるのであり、今日における「神道から何かを学びたい」という動きの根底にも、そのあたりに隠れた理由があるように思われてくるのです。
明治十五年、有栖川宮幟仁親王の令旨を奉戴し東京に創設された皇典講究所の分所として翌十六年、京都市内に設立された京都府皇典講究分所を母体とする京都國學院は、開学百三十余年の伝統を誇る学校であり、全国有数の神職養成機関であります。
京都國學院で学ぶこと、体験することは、たくさんあります。その中には、我々の祖先が守り伝えてきた「本物」の日本があります。神々の遊ぶ庭には古代の叡智が宝石のように輝き、聖なる泉からは永遠の「中今」が湧き出ています。世にあまり知られていない我が国の宝物を拾い上げ、そこに光を当てることができるかどうかは、実に貴君自身の気づきと、一歩を踏み出す勇気、そして日々の努力の積み重ねに掛かっていると言ってもよいでしょう。
京都國學院は、志ある人々との素晴らしい出会いを待っています。これからの日本と世界を支える基盤をより堅固なものとするために、気骨ある人材を育み、神に仕える真の聖職者を養成し、ともに新たな明日を築いていきたいと願っています。